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よくある質問(会員向け)

 

 

概要
 

   予報士三田会(職域別三田会)

      設立:2005年5月 (正式登録2006年6月)
      会員数:34名 (2009年2月1日現在)
      会長:藤井南美(96年総合政策)

      現在、首都圏在住の塾員予報士の方を中心に
      和歌山や大分といった地方在住の会員の方もおります。

事業
 
   1.会員の懇親
   2.気象業務に関わる勉強会、研究会の実施
   3.気象予報士志望者に対する講習会の実施
   4.気象関係のイベントへの後援
   
沿革
 
2004年夏ごろ

早稲田大学「稲門予報士会」加藤順子会長より
慶應側の藤井・及川が
「あなたたち!予報士の三田会を作りなさいよ!!」と
言われ続ける。

藤井、及川で「どうやって会員を集める?」など
話し合いを行うが、なかなか進まず。

それと並行して、どうやったら設立できるのか
及川が調査開始。

   
2005年5月

早稲田大学「稲門予報士会」加藤順子会長より
慶應側の藤井・及川に慶早戦後の飲み会打診。
慶應側から藤井・小川・小林・及川の4名が出席。
(高田馬場で開催)
この飲み会が「第1回予報士慶早戦」となり、
これ以後、春の慶早戦の観戦後に飲み会をすることが恒例となる。

飲み会の席上、「気象予報士三田会(仮)」の設立が決まる。
この時点では、まだ非公認団体。
初代会長に藤井南美氏が、勢いで選ばれる。

「幻の予報士三田会塾旗」初お披露目。
旗に「予報士三田会」と紙が貼ってある物だが、
「気象予報士三田会」にしなかったのは、
「象」の文字をカッターで切るのを
面倒くさがった及川の意向によるもの。

   
2006年1月

新年会開催。慶應義塾高校に勤めておられた
桜美林大学坪田先生も参加される。
その後、坪田先生のご紹介で会員数が増える。

   
以降、連合三田会への正式登録のために設立準備が進む。
会則の確認や、「最低20人程度の会員が必要」との条件クリアに向け会員勧誘を進める。
   
2006年5月

連合三田会に登録申請するために
会則確認や運営方法の確認打ち合わせを開催。
会の名称を「予報士三田会」にすることを決定。

第2回予報士慶早戦(慶早戦後の飲み会)を銀座で開催。
この時より、「予報対決」が始まる。
第1回の対決は、予報士三田会予報部の田代氏の活躍により
慶應が記念すべき勝利。
「予報士三田会 第一塾旗」初お披露目。

   
2006年6月

申請準備がすべて整い、
会員数19名で連合三田会に登録申請。

   

2006年6月15日

「予報士三田会」が正式登録。
公認団体となる。

   
2007年5月

高田馬場で第3回予報士慶早戦。
予報対決で、慶應が勝利し、見事2連覇。

   
2008年3月 新年会開催。参加者の半数が女性という驚くべき事態発生!!
   
2008年6月
銀座で第4回予報士慶早戦開催。(会員数24名)
慶早予報対決は、
田代予報部長の活躍により、前人未到の3連覇達成!
   
2008年8月

慶應義塾が発行する「KEIO SPIRITS」の三田会紹介ページに掲載される。
その後の反響は大きく、会員数が増加する。

   
2008年11月 連合三田会大会に会として初参加。
福引きで「魅惑の韓国旅行」が当選?と思いきや1番違いで涙を飲む。
参加した皆さんで、冷たい雨の中、加山雄三コンサートを観て涙する。
   
2009年1月 会員数34人になり、稲門予報士会と同数となる。

  

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